震災が起きて、その1週間後、約束があり、3日間、海外に、行った。
成田飛行場は、海外に逃げてゆく、外人で、ごったがえしていた。
飛行機が、離陸する寸前の時間迄・・・・混みすぎて、搭乗券ももらえない。
子供を背負った、白人・アジア系人種で、、成田飛行場は、長蛇の列だった。
(身動き出来ない状態でした。こんなに沢山の外人を見るなんて・・・・)
海外現地に着くや、入国審査に、日本人だけ集められて、放射能検査をされた。
海外現地での、テレビは、どのチャンネルをまわしても、
1日中、<日本の東北関東大地震>ばかり・・・・・・
(日本では、テレビで、見ない)
水に流れた、子供の死体。・・・・・・恐ろしくて、他のチャンネルをまわしても同じ
震災の、津波の、ご遺体の、<におい>迄、想像できた。
・・・・・気が、狂いそうに・・・・・・恐ろしくて、他のチャンネルをまわしたが,
・・・・・1日中、テレビは、日本の大震災を、流していた。
(震災、津波にあわれた、東北の方達にとっては、現実に見たことですね)
(助けに行かれた、自衛隊の方達も、ご遺体を、探したのですよね…有難うございます。)
3月当時に、海外現地では、
原発は、もうその時、爆発した、無残な形を、上から映していた
ぼろぼろだった・・・・・恐ろしかった。
(日本のテレビでも、6月頃から、みることができたけれど)
海外では、募金活動も、力を入れて下さっていた・・・・・感謝で泣きそうになった
東京の自宅に、びっくりして、電話をした。
「日本、大変でしょ?」と私
何にも知らないようだ
<無責任IT男>が、いつもと変わらず
のんびり、めんどくさそうにでてきた
海外にいるほうが、真実を知らせていて・・・・・怖くて、怖くて、日本が、心配で緊張した。
日本に帰ると、
駅が、暗くて、びっくりした
テレビは、いつものように、平和に
お笑い番組をしていた。
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